チェンマイ農村で夏休み

タイ北部チェンマイ市内から車で1.5時間、農村暮らしのあれこれ

タイ農村の葬式がタイらしかった話

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この村には葬儀屋が存在しないため村の誰かが亡くなれば、家族と近所の人が協力して葬儀を執り行います。みな仏教徒であるので、当然のことながら仏式で僧侶が登場します。

自宅でいわゆる通夜が数日あり、最終日に火葬場に移動。告別式のようなものを経た後に火葬されます。村人曰く、タイの仏暦を参考に火葬の日を決めるため、葬儀にかかる日数が前後するそうで(この村では平均3日)、日本で六曜を気にする人がいるというのと似たようなアイディアなのかなと勝手に解釈しました。ほかにも故人の社会的地位や裕福度でも日数は変化しうるそうです。

今回の記事ではタイの葬儀における細かな作法やその意味よりも、葬儀が執り行われる数日間の人々の動き、場の雰囲気に関して感じたことに焦点を当てて紹介していきます。

 

葬儀を通しての雰囲気:タイの村人にとって身近な死と彼らの死生観

筆者の滞在するこの村は高齢者も多く、頻繁に葬儀が行われるのですが(そして村人が葬儀の手伝いに行くのでより身近に感じる)、最も興味深く日本との最大の違いとも思えるのが、葬儀の雰囲気であります。数日間を通してしめやかさが一ミリもないのです。 

彼らの死生観が仏教の輪廻転生に根ざし、今世での死を一つの通過点のように捉えているからなのか、当然悲しみはあるのでしょうが、死の否定からくるような泣き叫びのようなものは遺族含め未だ見たことがありません。 

参列者の筆者としても、村の葬式はその他のイベントと同じようないたって普通な雰囲気なので、葬式と聞いてドキドキ、多少の怖さを覚えてしまうというようなことが起こりづらいという感じです。

  そんな通常時の穏やかでゆるゆるタイな雰囲気が残る場面をいくつか。

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【最終日の自宅での読経】

僧侶も一村人であってよく知る仲なので、時間になるまでは談笑タイム

右端は夏休み期間限定で出家中のちびっ子。太ってるねと言われたり、当然唱えられないお経もあったり、おじちゃんおばちゃんにいじられるが、それも可愛がりの一つ

読経の所要時間1~2時間だが、途中でもぐもぐお菓子を食べることもできる

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【火葬場移動後、ちょっとした最後の儀式】

ここでも基本モードは談笑で僧侶が唱え始めたら静まり手を合わせ、終われば元に戻る

まさに全校集会で校長が話し始めた時に生徒が一斉に静まるのと同じで、参列者の集中度もそんな生徒と同程度

(不適切な例な気もするが、これ以上的確な状況の描写は思い浮かばない)

驚きの文化1:男性親族が故人のために出家をする

実際にこのお葬式では、亡くなったお母さんの息子の一人が三日間だけ仏門に入ることになり、たとえ数日とはいえ髪も眉毛も全部剃って出家式を行っていました。このように村では故人のために親族が出家する場合がほとんどらしく、期間は一日から一週間とまちまちだそうです。

 というのも仏教徒のタイ人の宗教との関わりにおいて、「タンブン(徳を積むこと)」が全てです。来世への貯金/ポイント集めのようなものだからタイ人が熱心にタンブンをするのだと以前聞いたのですが、タイで実際に生活してみた今、筆者はその表現にだいぶ納得しています。そして出家もその善行の一つであり、積んだブン(徳)は行為者だけでなく、その家族や祖先にまで伝播・転送されると考えるため、こうした葬儀を機に出家することは故人のためでもあるそうです。

驚きの文化2:葬儀の手伝いは当番制で回ってくる

この村では上記のように葬儀屋が存在しないが故、村の家を8つのグループに分けて、当番制で葬儀の手伝い係を担当しています。仕事内容は、参列者(計何百人に及ぶ)に提供する食事の準備と片付け、棺を担いで火葬の準備をする(男性のみ)、故人の遺品を燃やす、花火の打ち上げ、写真撮影など。もちろん当番でない時でも親族や親しい知人であれば手伝いに行ったり、自宅から例えば米を一リットル程度持っていき、食事提供の面で遺族を手助けをしたりもします。

 遺族はというと、骨上げ後に火葬台などを次の人のために清掃をするのだそうです。葬儀屋がいないので誰かがやるしかないのですが、これには少々驚きました。

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棺を右の焼却場に移し、最後に火をつける際にドーンと数発花火が上がる。

棺を火葬場まで運んだ土台にもライトや花火の仕掛けが施されており、 同じタイミングでピカピカ光り、クルクル火の棒が回っていた。

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個人の服などの遺品も土台と一緒に燃やす

 驚きの文化3:村の葬儀用のグループ預金

葬儀の費用が気になりある人に尋ねてみると、父の葬儀を村の平均よりも少し大きな規模で執り行った時に全費用で100,000バーツ(約35万円)かかったと教えてくれました。しかしよくよく聞いてみると、村の葬儀のグループ預金に参加しているのでそこから600,000バーツが戻ってき、個人的な香典(相場は数百バーツ)を合わせると、葬儀を終えても少しお金が残ったと。

そのグループ預金の仕組みはと言いますと、まずこの村は1丁目、2丁目のように村1から村7まで存在しているのですが、それぞれのエリア7カ所で預金グループが存在します。もし自宅が村1にある場合は、その他村2〜7のグループには好きなだけ参加することができ、そこで誰かが亡くなるたびにに20-25バーツ預金をすることになります。そして、自分の家族が亡くなり、葬儀を執り行う時にはその貯めたお金が一定額返ってくるという相互扶助の仕組みだそうです。

 

村の歴史を聞くとちょいちょいSaving Groupsなるものが登場するので、これもまたその一種かなと思いこれを機に調べてみました。

  • Saving Groupsは数十人、もしくは少し大きな単位であるコミュニティーベースで人が集まり、グループのメンバーが一緒に貯金をし、必要であれば少額のローンもできるという仕組み。マイクロファイナンス(一般の銀行から貸付を受けられない低所得者向けの小口金融サービスの仕組み)の手法の一つで、途上国の貧困層の自立を助けることを目的として使われたりもするそう。
  • おそらくこの葬儀の預金は、そのSaving Groupの一種であるRotating Credit and Savings Associationではないかと思う(詳細は各自お調べください...)。

驚きの文化4:散骨が主流、お墓が存在しない

この村では散骨が主流です。骨上げで一部の骨を壺に納め、その後一定期間寺に保管して〜など細かな流れはあるそうなのですが、最終的には大きな河川にまかれることになります。骨壷を手元に置いておく人はかなり少数派のようです。

そしてお墓を設けないため、当然日本人が想像する「お墓参り」的な行為も存在しません。4月のタイ旧正月がその「お墓参り」のタイミングの一つなのですが、寺院に出向き、自分の先祖のためにお供えをし、僧侶にお経をあげてもらうという形式で、先祖への挨拶は寺や僧侶を介すことになります。(※ 華僑の墓地があったりするのでお墓事情は別口。)

さいごに

ある村人が「別にもう亡くなったわけだし遺骨を取っておく必要も特にないからね、散骨するよ(意訳)」と言っていたのですが、お墓がないと日本のドラマのよくある辛い時に墓前で死んだ母さんに話しかける男性主人公みたいなことは起こりうらないのかーとどうでもいいことを考えたりもしました。

ここまでその国の葬儀を覗いてあれこれ質問をする機会は海外生活をしていてもめったに訪れない機会だと思うので、非常に貴重な体験になりました。(と小学生の作文のような一文で本記事を締めることとします。)